さて、昨日は土曜の昼の日本テレビの景色の変遷についてお話してきましたが、本日は指原莉乃がなぜ日本テレビの土曜昼の社運を賭けた時間帯の看板になったかをお話しします。
AKBINGOから始まりました。プロデューサーは毛利忍さん。
この番組は、秋元康監修のゴリゴリのバラエティとして立ち上げたので、かわいい系のメンバーよりも、必死にがんばる、面白い、メンバーが重宝される番組でした。
指原が舞台デビューするのは2008年、AKBINGOも2008年スタート。
また、AKB48劇場では、指原が他メンバーのトークやキャッチフレーズ等をプロデュースし始めてもいました。
数か月前に始まったAKBの番組が好評だったことで本格的にプロジェクトを動かし始めました。
可愛いが売りのAKBでしたが、まず最初に野呂佳代という人物にAKBのイメージに革命がおこります。
ごりごりにお笑い好きで、お笑いをやりたいからAKBに入ったとまで言い切る変態が現れます。
次に、指原莉乃。
大分の学校では一匹狼の根暗なハロプロヲタクでした。
ハロプロヲタクのほとんどがパフォーマンスに憧れるなか、
このひとのハロプロとは、ハロモニやうたばん等でゴリゴリに
バラエティを沸かしていたハロプロも含めて大好きだったのです。
パフォーマンスだけではハロプロヲタクにはならなかっただろうという。
普通のハロプロヲタクはセンターメンバーや松浦亜弥であったり、するんですが、
指原のハロプロは、保田圭であり、スキャンダル前の矢口であり、とんねるず、うたばん、ハロモニであったと思います。
積んでるエンジンが違いましたね。
かっこいいことだけやりたい人がこんなモンスターに敵うわけはありませんでした。
もう入るなりAKBINGOに呼ばれ、本人はただ一生懸命やってるだけなのに、舞台では地味なメンバーなのに、テレビではまぶしい光を放ち続ける奴。
このころから、舞台だけではなく、テレビでも活躍しないとAKB内での人気は集まらないマルチメディア環境に変化し始めていった気がします。
それが、まあ総選挙で数字になって現れたと。
しかし、そんな大人気の指原ですから、AKBINGOにだけスケジュールを割けなくなってきます。TBSでは冠番組が始まり、有吉AKBでも重宝され、福田監督にも可愛がられてテレ東でも冠番組が始まり、最後には居酒屋に毛利さんがゲストで出演する始末でしたw
選抜メンバーなので全ての仕事に絡んできますのでAKBのメインの仕事にはすべて出演せざるを得ない。
そして、なによりファンを大事にしているので、握手会には絶対に出るという信念があり、多少の熱でも倒れるまで会場に居続けました。
そして、2011年、有吉AKBが誕生するころ、乃木坂46というグループが誕生することになり、時代が変化していきます。
AKBは人気メンバーが劇場に来なくなり、握手会も人気でチケットが売切れたりして会えなくなって、スキャンダルが多くなってきた時代に、清楚で私立高校のイメージの、まだ全員新人で全てのイベントで全員に会える乃木坂46は人気が上昇しないわけはありませんでした。