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とんねるずと有吉弘行氏のキャリア形成ルーチンが似ていることから、将来への展望を読み解いてみます。第二回創生期

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私は学生時代、とんねるずショックを全身に浴びながら、
笑いを武器に、ややいじめられ系の学生時代を生き抜いてきました。

小学生時代はビートたけし。
中高ととんねるずでしたね。

で、高校卒業くらいから、電気グルーヴが登場
して、海砂利水魚、バカルディ、まあ東京
だったんで多少遅れてダウンタウンと
千原兄弟、今田東野といった感じでした。

小学生で高田文夫や三宅恵介、
中高ととんねるずを浴びてしまったことで、
秋元康、遠藤察男といった裏方の人たちにも
その流れでタレントと同じかそれ以上に
興味を持って接するような人間に
なってしまいました。

その中で少しづつ自分の時代を作り上げて
きたタレントたち、例えば、
たけしさんやとんねるずといったタレントさん
には、必ずと言っていいほど、常に
サブキャラとして存在する女性タレントの
姿がありました。

宮沢りえ、おニャン子クラブ、渡辺満里奈、
工藤静香、といった面々ですね。

たけしさんには宮沢りえが顔を出していましたが、
とくになにがあるというわけではなかったですが、

とんねるずの場合には、本格的に
自分たちの看板番組に出演させて
自分たちを通して魅力を最大限に
発揮させる感じで貢献しました。

で、この流れは、ダウンタウンの方にも
移ってきて、YOUとか清水ミチコといった
タレントが同じように番組を通して
有名になっていきました。

松本人志さんの「動きます」対応は人間として至って普通の対応です。凄くはないです。

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以前にも書いたがやすきよ派が幅を利かせていた当時の吉本に、真っ先にダウンタウンの先進性を見極めて、2丁目劇場というダウンタウンの専用劇場を構えて全て自分の責任でのびのびと成長させていったのは大崎洋。

また現場で共にマネージャーとして成長期のダウンタウンと戦っていたのは岡本氏。

時は過ぎ、ダウンタウンの成功を認められ大崎氏が先に社長に就任すると、ダウンタウンの長きに渡る真面目な仕事ぶりのお陰でマネージャーの岡本氏が大崎さんの後任に。

これらは全てダウンタウンの成功のおかげ。

だから、ダウンタウンの2人は気持ち悪くもあったがまあ戦友が昇格していくのは嬉しいので横目に仕事に打ち込んでいた。

しかし、闇営業問題で亮さんが記者会見を会社に懇願したら岡本社長が

「やってもええけど、全員連帯責任でクビにするからな」

と反対。さらに田村は会社主導の会見を求められたと告白。

ここはNGTの基地外ヲタ事件の対応と同じですね。

さらにネット視聴なども要望したら

「そんなんこっちで決める」

「在京在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫やから」

と言った。

この流れですから、松本さんは大崎さんが社長になって以降我慢していたところが全て爆発してしまったような感じなんだと思いますよね。

たけしさんが言うように、猿回しの猿のようにダウンタウンを利用して私利私欲を貪っていたことが明らかになったわけですからね。

ダウンタウンが共に仕事してきた中で共有してきたと思われる哲学がなにも吉本の社員には伝わっていなかったって言う寂しさですね。

だから、松本さんは大崎さんと岡本さんと話し合い、もし同じ吉本の未来像が描けないようなら、その哲学を共有可能な会社を作ると言うことなんじゃないかと思います。

人間として当たり前の感情だと思います。ね。

 

 

電気グルーヴの関係性は、お笑いと同じ。

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言い換えると、ネタを書くのが石野卓球で、暇な方がピエール瀧。

ダウンタウンはネタを書くのが松本人志、暇な方が浜田雅功。

さまぁ~ずもネタが大竹、暇な方が三村。

この関係性が具体的にどういう関係性なのかを
表現する代表的なエピソードがあります。

浜田
「松本が凄すぎるから、、、、必死にMC他の
松本と被らない部分の技術を磨いた。」

三村
「売れない頃に、僕はアルバイトをしていたので、
大竹もしようとしていたので、
「お前はアルバイトなんかしないでネタを作ってくれ。
金はなんとかする」
と言って、大竹にネタに専念させた。」

電気も石野が凄すぎるんで、
瀧は音楽以外の俳優やテレビの仕事を頑張って
石野に置いて行かれないように、
石野に詰まらない奴だといって捨てられないように
必死にほかの分野で石野に対抗できるレベルの
ものを積み上げていたんでしょうね。

フジテレビの社長と私がピンポイントで繋がった瞬間。

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ワイドナショーでの松本人志の体を使って発言に対する見解について、
世界で私だけしか言ってない感覚で発言した内容を、
まさかのフジテレビの社長が同じ見解を公式に発表しました。

「この発言は関係者間のみでのやりとり」

だということです。

みなさんも、SNSの時代で多勢に無勢な感じで委縮してないで、

自信があることは、きちんと世界で誰一人賛同者が
いなくても、自信をもって発言や行動をして下さいね。

世界のどこかでそれを目にした人たちが連鎖して、
それが世の中を変えることができる時代なのです。

ワイドナショーの「体を使って」発言に対する松本人志と指原莉乃2人のデビュー当初からのコアヲタによる分析。

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まず一言でいうと、

松本人志の指原氏に対する絶大なるお笑い芸人としての信頼から出た発言ですね。

まあそこら辺のにわかバラエティタレントなら上っ面のそこらへんにゴロゴロ
落ちてるレベルのワードで無難に済ませておけばめんどくさくないし問題ないが、

指原だから、自分の求めているレベルの笑いの刺激の強さを表現できると判断して
さらにその上を行く松本人志の自分はそこらへんのどこにでもいるテレビタレントじゃなくあくまで舞台で勝負できる芸人なんだという他のタレントの差異を指原氏に伝えたいから、テレビとかいろいろなことを関係なしに指原にそんな自分の生きざまを感じさせたいところから強めのワードを信頼してぶっこんだんだということですね。

現場では松本人志も命を懸けてぶっこんだんだから、指原氏もそれは命を懸けて受け止めたことだったと思います。

しかし、こういう実情から、指原、松本に特に何も興味ない界隈には間違って受け止められても当然です。だって松本さんは指原氏単独でぶっこんだワードだったからです。

小島瑠璃子も同様のスキャンダルがありましたが、小島だった場合はそこまでやる対価がないからやらなかったでしょうね。矢口だったらいってたかもねw柏木とか松村だったら、現場がどんびきするのは目に見えてるんでやらないでしょう。

指原氏だからそれに見合う笑いに変えられる返しができると信頼してぶっこんだと。

それだけ、最先端の笑いの現場の人たちに指原という名前がそういうハイレベルな笑いのトークが可能なタレントとして浸透していることを証明したような今回の事件だったですね。

私としては、この流れで爆笑の太田さんとかとの絡みも見てみたいですね。どこまで太田さんが指原氏を信頼しているのかね。

水曜日のダウンタウンと藤井健太郎と松本人志と反コンプライアンスの笑いの社会的な必要性が皆無な理由を明確にします。

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水曜日のダウンタウンの拉致企画はクロちゃんから始まりました。

しかしクロちゃんのあまりの性格の悪さに笑いが優っていて
危なさに気づいていませんでした。

藤井健太郎、マッコイ斉藤などはテリー伊藤、土屋敏男といった
反コンプライアンス笑いを極めた監督たちの教え子の最後の生き残りです。

90年代。

当時は現在と真逆で、普通のお笑いをやっている人たちは
この人たちになめられていました。

自分たちこそ時代の最先端なんだと。。

また、たばこについても同様で、吸っている人はまだ
かっこいいと言われていました。

プロレスも同様で、技が過激になり
選手生命を絶たれる選手が多くなりつつありました。

また神様のような絶対的な技術とメンタルをもっていたアイルトンセナが
F1のハイスピード競争の
争いに巻き込まれ事故で亡くなりました。

ここからわかることは、
競争によりやる人が多いときは悪いことが正当化されます。
そして、より過激になっていきます。

この時重要なのは一般市民がそれを求める結果
過激になってしまうというところです。

そして現代。

F1はスピードが出ないようにルールが改正され、
お笑いも行き過ぎないように法令により競争の激化を抑制されました。

ここで、お笑いはつまらなくなったとか言い出す
奴らがいます。

私は知識と経験が浅い時はそれに同調していました。

しかし、最近は観点が変わりました。

それは、チャップリンはどんな時代でも面白い。
というところです。

下世話で人間の生理現象に直接ドラッグを打ち込むような
過激な演出が無くても、センスと技術があれば
人間の心に激しく訴えかける最高の笑いを創り出すことは
可能だということをチャップリンは教えてくれていると思います。

ちなみに、もし私がいままでで最も面白い笑いを選出
するとすると、チャップリンの作品になりますね。

これは人間が人間である限り永久不滅な笑いだと思います。

まあ逆に考えれば、前述の笑いというのは、、
チャップリンがすべて創り出してしまった
から、仕方なく生まれた笑いと言えるのかもしれませんね。

最近、マッコイや藤井、ダウンタウンといったうぬぼれ野郎
たちが鬼の首を取ったようにコンプライアンスがどうたら
とそれを隠れ蓑にして笑いを作れない言い訳にして
自分の才能のなさを恥ずかしげもなくひけらかしていますが、、

コンプライアンスを理由に新しい笑いを作ることを諦めて
いたら笑いを辞めた方がいいと思いますね。

私はどす黒い汚い世界も無菌状態の澄み渡った世界も
同様に、同じくらい笑いと言うものは存在していると思っています。

コンプライアンスで笑いがつまらなくなると言ってる
やつはそれがわからない程度の低レベルな芸人ていう
ことなのでもう引退することをおすすめします。

まあテレ東の佐久間さんやテレ朝の加地さん、
藤井さん、そしてフジテレビの日置祐貴さんが
これからは引っ張っていくので
高級マンションで豪遊してタバコでもふかしながら
ガンで脚を組んだまま逝っちゃってくださいw

お疲れさまでした。

zazyもちくわんこも結局は松本人志の単なる才能の数百分の一の猫紙芝居という落書きのコピー。

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フリップでリピートするネタは全て猫紙芝居なので
情弱芸人は気を付けて下さい。

そして、松本人志が遊びで軽く披露したネタをメインの持ちネタにする恥ずかしさに気が付いて下さい。

 

お笑いに点数をつけるのが好きな芸人はスポーツ未経験者。違和感を覚えるのはスポーツ経験者。

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これも2018年の3月1日に石橋貴明さんがお笑いを点数付けたくない
って言ったことから判明したことでなるほどと思いました。

とんねるずを根底から楽しむにはスポーツの厳しい
上下関係の経験が必要なんだよな
だと思いながらその考えを分岐させてM-1のことを考えたら
松本人志はスポーツ未経験者、島田紳助も未経験者ですよね。。

でそのくせわがままで団体行動苦手で自分でチーム競技できないくせに
下手にボクシングとか好きだから、やりたがるのかなっていうね。

ルーチンが違うんですね。

勝負事大好きだけど礼儀やルールを守るのがスポーツマン。
縛られるのが大嫌いで自分勝手なのが文化系w

スポーツ経験者は、スポーツの評価は様々な基本項目を
設けてそれの実施レベルで公平に評価するが、
お笑いの採点はなにも設けずに全て審査員の感覚に任せているから
根本的に異なっているのに同じに考えているから
なんか違和感を覚えるっていう。

芸人の真価が問われるのはファンがいなくなった時ではなく増えた時だろw え?骨抜きメディアゾンビ芸人松本人志さんよ。言い訳すんなよw

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松本人志

「芸人はファンがいなくなってはじめて本当に評価される」

おいおい、逆だろ。

1人ごっつからもう数十年経過してるんだよ。

今の時代、なんでもお笑い風メディアピエロじじいと化した
お前が言うことが正当化されると思うなよ。

 

最近お前たちの言うことが少しづつずれ始めてきていて、
若手の芸人の間でも疑問視され始めているのに気づいて
ないんでしょうかねw

ファンがいないときは誰でも死に物狂いでやるよ。

ファンが増えた時、お前みたいに生活レベルの維持を優先させて
魂をメディアに売って、一切の努力を辞めて過去の栄光で生きていくか、

ファンが増えても、生活レベルの維持よりも、自分のセンスとエゴを優先
させて、必要なら全てのファンを裏切ることもいとわず、初心を忘れずに
この世に存在しない自分しかできない作品を残すことに
切磋琢磨することができるのか。

これはアーチストに通じる部分でもあります。

収入の増減を怖がらず、自分の作品を発表し続けられるのか、

収入の増減に怖がり、自分の感性より世間の要求に迎合し、生活レベルの維持を優先させビジネスアーチストに成り下がるのか。

 

こんな基礎的なことが分からなくなるくらい業界に毒されたかと、寂しくなりました。。

芸人がキングオブコントやM-1等のお笑いのコンテストの審査員をやることの矛盾感とベストなコントの評価方法の考察。

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誰一人、自分たちのネタを客席から観た人はいないということ。

さまぁ~ずであって、さまぁ~ずではない。
バナナマンであってバナナマンではない。
ダウンタウンであって、ダウンタウンではない。

さまぁ~ずのコントを観たスタッフが素晴らしいと感じたので
審査員として呼んだが、その素晴らしいコントをさまぁ~ず
本人は観たことが無いっていう落とし穴。

スタッフはさまぁ~ずのコントのレベルを審査の基準にして
採点して欲しいから呼んだが、、

さまぁ~ず本人はその基準が実はわかっていないっていう。

だって観たことないんだから。

観たことないから、比較もできるわけがない。

だから、審査員は結局芸人ではないほうがいいと思いますね。

ちなみにざっくりですが、お願いランキングという番組の
お笑い勝ち抜き企画は視聴者投票なんですが、
現時点ではこれがベストなんじゃないかと思います。
私はこれだと推しが負けても一切文句はなく、仕方ないかと
思える方法ですね。

ちなみに、コントを芸人が審査するという考え方は
俳優自身が審査するアメリカのアカデミー賞を
パクっていると思うんですが、これも落とし穴があって、

アカデミー賞は映画ですから俳優自身も自分の仕事を
観れるので、なんら問題は無いわけです。

お笑いは舞台芸なので無理です。

もし芸人が審査する方式を採用するなら、
舞台でネタを披露せず、
事前に収録したネタを映像を観て審査するなら問題は無いと思います。

以前にも言いましたが、アートの面白さとは、
作品の評価は第三者が評価するもので、
アーチスト本人の評価は関係が無いということです。

本人が嫌いな作品でも高評価な作品、
大好きな作品でも低評価な作品があるのが
あたりまえなんです。

また本人の出来不出来と評価は無関係。比例しません。
よくできてもつまらないときもあるし、
よくできなくても面白いときもあります。

また、タレントや周りを取り囲む勢力のパワーとも無関係。
それらが逆に威圧感としてマイナスに作用することもあります。

美空ひばりの作品より自分の子供の作品のほうが感動したり、

フランクシナトラの作品より、シドビシャスのほうが感動したり、

手塚治虫より蛭子能収のほうが感動したり、、

芸術だからこそです。

コントの作り方も

サンドウイッチマンのようにマクロレベルでボケを組み込んでも、
舞台に出ないで映像ですましても、
舞台に出てずっと立っているだけでも、
しゃべらずに動きで表現しても、

面白ければそれでよし。

チャップリンから始まり、キートン、てんぷくトリオ、
深見千三郎と一連の浅草コメディ、
クレイジーキャッツ、ドリフターズ、
Mr.ビーン、モンティパイソングループ、
やすしきよし、コントレオナルド、
コント55号、B21スペシャル、
とんねるず、ひょうきん族のタケちゃんマン、
カックラキン大放送、
ネプチューン、キリングセンス、
ごっつええ感じ、松本人志、
ウッチャンナンチャン、
シティボーイズ、シソンヌ、
パーパー、

いろいろこれまで魂にぶち込まれてきましたが、

人間が全員各自で評価すればそれでいいのではないでしょうか。

漫才はルールがあるが、コントは自由。

私はそう思います。。。