カテゴリー別アーカイブ: 松武秀樹

2016.05.05冨田勲師匠ご逝去。長い間お疲れさまでした。

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冨田勲からの、

KORG、ローランドからの、

松武秀樹からの、

YMOからの、

電気グルーヴからの、

コーネリアスこと小山田圭吾。

校歌、童謡から映画やテレビの音楽からオーケストラから。

音楽だけで生きることが極めて困難な時代、
生きるためならなんでもやってきた

冨田勲。

私の担当分野、電子音楽の分野に至っては、
冨田がいなければフランスを起源とする同分野の、
現在の日本の電子音楽の非常に短期間での
著しい発展はあり得なかったでしょう。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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ももクロと吉川晃司の共通点

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最近、ご存じのようにももクロのライブに行きまくっている。

しかし、聴きまくっているのもあり、ちょっと小休止という感じで
最近あまり聴かなくなっていている。

入れ替わりに聴きだしたのが、吉川晃司氏の作品。

特に以下3アルバム
1985年3月30日 INNOCENT SKY
1986年2月21日 MODERN TIME
1987年3月05日 A-LA-BA LA-M-BA

そしてなんといっても後藤次利、YMOの第4のメンバーと言われた、松武秀樹のプログラミングワークが冴えわたっている以下の12インチリミックス作品群。
1984年12月5日 MAIN DISH
1986年6月21日 SATISFACTION FAKE
1985年11月5日 Can’t you hear the RAIN DANCE
1986年6月21日 NERVOUS VENUS
の三作。




特にこの曲を聴いていると時間を忘れてしまいます。
なんかピンキージョーンズと曲構成が似ています。
これの1.10-1.30の部分の空気感が良いです。

実はももクロのライブに出会う前、唯一行ったのが
1986年の吉川晃司氏のライブだったんです。

高校生だった時です。

要素としては、

GRASS MENS(JUN SAITO)のファッション
ストレートヘアー
肩幅が広い逆三角形の体型
夜をテーマにした作品群
既存のレールから逃れようと必死だった

ということが高校生の自分には魅力的に映って仕方なかった。

当時夜にアルバイトや作曲活動をしていたのもあり
バイト帰りや夜遊びの時に聴いていました。



でももクロと吉川の共通点ですが。

吉川氏は当時アイドルという枠から逃れるために、さまざま
な挑戦をしていました。

様々な楽器を覚え、作詞作曲、演出、自分の大きいからだを最大限に利用したダンスの創作に力を注いだり、ファッションの創出、繁華街に繰り出し遊び歩き文化や音楽を体にたたきこんだりと
デビューこそ吉川氏は鳴物入り、ももクロちゃんはスターダストのダストの方という違いはあれど、当時のアイドルの概念から逸脱するのに必死でした。

ちなみに、ももクロちゃんは女性だと小泉今日子さんに近い感じがします。
テクノやヒップホップに心酔したり、この人も、アイドルの既成概念から逸脱することんい必死なタレントさんでした。

で作品ですが、

ほとんどの曲のアレンジを後藤次利氏、プログラミングを松武秀樹氏が担当しており、ギターに至ってはCharさんが参加したりしております。

ももクロも宮本氏がほとんどの曲をプロデュースしており、エンジニアは佐々木敦さんが担当しています。
ももクロは聴いていると宮本氏の力が大きい気がします。

ももクロはこれからもしうまくいくようであれば、曲は経験者がいないのでない気がしますが、メンバーが作詞するようになり、リミックスを出すようになり、ダンスはもっと参加していくようになり、年齢と共に音楽の嗜好の幅が広がっていき、よりももクロの意見を尊重した創作活動が展開されていくきがします。

現在は、なにも強く主張できるような音楽のバックグラウンドと経験がないので、信頼もなく大人の言うとおりに音楽をあてがわれていますが、これからは、最近最年長はえらくいろんな音楽を聴くようになっているらしいし、他のメンバーもそういう流れになっていくだろうと、なっていかなくちゃ未来はないと思いますので、そういうことを鑑みると、個人的にはこれから20代にかけての作品が非常に楽しみです。

いつかピアノ一本でバラードなんかを聴ける日が来ることを楽しみにしています。